世界平和への旅 〜そして、わが祖国編〜

アクセスカウンタ

zoom RSS 『コーカン紛争2009』 5.リーダーの自覚

<<   作成日時 : 2015/02/26 08:46   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

きいちが老板(ラオバン)に頼らずに、事務所長としてリーダーの自覚が出てきたのは、ある事件がきっかけだった。

着任して3カ月目。ある夜、11時頃ベッドで眠りにつこうとしていると、老板から携帯に電話がかかってきた。いやな予感がした。

案の定、うちの警備スタッフがオフィス近くで交通事故に合って、緊急病院に運ばれたとのこと。すぐに病院に駆けつけると、警備員はX線ルームに横たわり、全身打ち身で昏睡状態だった。奥さんが横で手を握りながら、「しっかりして」とミャンマー語で声をかけ続けている。

医者に話を聞いたところ、「命に別状はない」とのことで一安心した。ただ、右足の脛の骨が二本とも折れているのと、全身打ち身だらけのため予断は許せないとのこと。頭の精密検査などは翌朝行うそうなので、「お金はいくらかかってもいいから、万全の治療をしてあげて下さい」と頭を下げてお願いした。奥さんの他、連絡用にうちのスタッフも一人つき添わせることにした。

病院の外に出ようとすると、中国人の集団が大勢やってきた。加害者の関係者だなと思い、「車の運転手はどこだ!」と尋ねると、交通警察に保護されているとのこと。中国人たちは口々に、「二人乗りのバイクが勝手に倒れてきた」、と責任逃れの主張をしていた。

老板やうちのスタッフは「自分の方から車に飛びだしたんじゃ仕方がない」と完全に諦めモードだったが、きいちは「いや、運転手の方にも絶対非があるはずだ。しっかりと責任を取ってもらおうじゃないか」と啖呵を切って、病院を後にした。

翌朝、老板と一緒に病院に行き、一緒にバイクに乗っていた奥さんから、事故の状況を詳細に説明してもらった。雨でバイクがスリップして自分から転んだのは本当らしい。バイクの下敷きになっていたスタッフを救おうとして奥さんがバイクを立てたところ、猛スピードで後ろから車がやってきて、うちのスタッフは車の下敷きになりながら、10メートル以上引きずられたそうだ。事情はどうあれ、運転手の「前方不注意」の非は免れないはずだ。その足で交通警察に向かった。

交通警察署では、昨晩電話で話をした事件担当者が、運転手とその友人を呼びつけて、事情聴取が始まった。奥さんから聞いた事故状況を詳しく説明しようとすると、「人命第一」「運転手は入院費用を払うことに同意している」と一方的に話を切り上げようとした。

どうやら運転手の中国人は、果敢の有名なカジノの大事なお客さんみたいで、責任問題を話すのは避けたいみたいだった。とにかく入院費用は100%運転手負担という確認と事故報告書の作成だけお願いして、その場を去った。

事務所に戻って、大ボスが不在だったので、ヤンゴンの小ボスに電話で連絡すると、「Seriously injured(致命傷)なのか」と聞かれた。「Heavily injured but no risk for his life(重傷だが命に別状はない)」と答えると、「じゃあ、良かった」と言われて、すぐに他の仕事の話が始まった。うちのスタッフの交通事故なんて、ヤンゴンからみたら大した事件じゃないんだな、と感じて少し寂しくなった。

午後、また警察署に出向いて、2時間かけて警察署長を拝み倒して、事故報告書を作成してもらい、病院に戻った。事故後すでに一日が経過しようとしているのに、医者はいつまでたっても右足の手術をしようとしない。「下半身の感覚がないみたいなので、もう一度レントゲンを撮ってから」とか、「足の内出血が収まらないとダメだ」とか、朝聞いたのと同じ説明を繰り返していた。

医者に対する不信感が高まってきたので、NGOで働いている知り合いの医者を連れて来て、再度病院に乗り込んだ。すると、「この病院は外科医はいるけど、骨接ぎ専門医はいないから手術は難しい」「でもここよりマシな病院はコーカンにはない」と何とも心もとないことばかり言う。きいちは他病院への搬送を心に決めた。

もうこの頃には、イチイチ老板を頼りにせずに、自分で英語か中国が分かるビルマ人を見つけては、家族や警察と話をドンドン先へと進めて行った。一刻一秒を争う時に、老板のマイペースに付き合っている暇はなかった。

最初、車で30分の中国側の病院への搬送を考えたのだが、奥さんがビルマ族で中国語が分からないのと、ビルマ人はやっぱりミャンマーが心の故郷なのだろう、車で5時間のラシューの病院に搬送することに決まった。

搬送と言っても、一筋縄ではいかない。そもそも果敢の救急車は市内用のボロ車しかないので、5時間の山道には耐えられそうもない。頸を完全固定するように医者からは言われていた。結局、STWのランドクルーザーで搬送しようということになり、きいちはヤンゴンの小ボスに電話した。

最初は組織の規則云々を言いながら渋っていた小ボスも、きいちが「人命救助で、一刻を争うんです!」とケンカ腰だったこともあり、医師の移転許可書と家族の同意書を取れば、車を使って構わない、と最終的には折れてくれたが、命よりも文書の方が重要なのだろうか、と少し悲しくなった。

こうして事故から三日目、シャン州ラシューの政府病院に家族と看護婦と一緒にSTWのランドクルーザーでスタッフを搬送した。

ラシューの病院で受けた精密検査の結果、スタッフは神経にダメージが残っているため、下手すると生涯下半身麻痺になるかもしれないとの最悪の報告が来た。CTスキャンがあるヤンゴンの病院への再搬送の件を、STWラシュー事務所とヤンゴン事務所と話し合った。

きいちは何とも言えない気持ちになったが、医者でもない自分が、所長としてやれることは金の工面ぐらいしかない、と心を切り換えて、警察署長に状況を説明した。警察署長は明らかにこの件に関わるのを嫌がっていて、自分で運転手とその保護者と示談をするように、との指示をもらった。

最初、運転手は「すでに1万3千元(約16万円)も入院費を払っているのに、これ以上はもう払えない」と騒いだ。きいちは淡々と、下半身麻酔になった場合のこれから1年間の入院費、治療費だけで、10万元(約120万円)以上はかかると書面で示した。

同席した友人のカジノの経営者が間に入って、これ以上責任は追及しないという条件付きで、最終的に3万元(約36万円)で示談はまとまった。人が亡くなっても3万元という果敢の文脈で、合計4万3千元(約52万円)というのはまあまあの線だろう。翌日、警察署長の前で、運転手とスタッフの家族がお金の引き渡しと書類に署名して手打ち式を行った。

きいちは若干の満足感を感じつつ、ラシューの病院に見舞いに行き、ヤンゴンの病院への再搬送の手配をラシュー事務所にお願いして、コーカンに来てから初めての休暇を取って、家族が待つ中国へ帰省した。

が、これで一件落着というわけではなかった…

2週間後、休暇から戻って来ると、なんとスタッフはまだラシューの病院に入院している。驚いてラシューの所長代行に問いただすと、ラシューの医者がどうしても、再搬送許可の書類を書いてくれず、ヤンゴンのドクターも、小ボスも、バンコクの地域事務所も、「医者の許可証がない限り、何か問題が起こったら組織の責任になるから再搬送はできない」の一点張りで、そのままラシューの病院にいるというのだ。

きいちは怒り狂って、「組織が責任取れなくたって、家族から責任放棄のレターをもらうなり、なんとでもやりようがあるだろう!」とシャウトした。無責任の構造がここまでSTWとミャンマー人に蔓延っているとは…小ボスが言っていた、「ヘリで緊急輸送する」って話は一体どうなったんだろう。

きいちはすぐに奥さんに、「STWの車は使えないけど、この間の示談金を使って、組織に頼らずに早くヤンゴンの病院へ移しましょう」と説得して、飛行機と救急車の手配を整えた。

結局、事故後一ヶ月もラシューの病院でろくな治療もされずに、寝たきりで放置されていたために、背中の傷の一部腐食が始まり、病状は悪化してしまった。きいちは休暇を取る前に、ラシューの医者から許可証を取らずにラシュー事務所へ任せたことに、良心の呵責を感じたが、後の祭りだった。

その後しばらくして、スタッフの契約延長問題が浮上した。彼の契約が6月末で切れるので、延長申請を行ったところ、ヤンゴンの人事部から、「体調が万全でない者は、人事規定上、契約延長をできない」と言われたのだ。

きいちは怒り心頭で、ヤンゴンの大ボスに直談判した。「契約延長は人事評価に基づいて行われるべきで、彼の評価はAだ!医者でもない素人の人事部が彼の体調を判断するのは間違っている!!怪我した人を即切るようでは、事務所の士気に関わる!!!」

大ボスはある程度理解を示してくれたものの、組織の人事規定は曲げられないと言って、「契約は打ち切り。但し、保険延長は認める」という折衷案を示してくれたので、きいちもその案を呑むことにした。

組織で働いている人は、やっぱり規定や文書が一番なんだと思い(自分が責任逃れをするために)、かなり虚しい気持ちになったのを今でもよく覚えている。「規定に従うことが良きマネジメントであるのなら、マネージャーなんてまっぴら御免だ!」と心の中で叫んだ。

…事故から4ヶ月以上が過ぎた9月下旬、きいちはヤンゴンで一番おいしいと評判のホテルのチーズケーキを持って、病院に入院しているスタッフを見舞いに行った。彼の足は未だに思うように動かず、握力もまだ戻っていなかった。彼は苦痛で顔をしかめながらも、訪問を喜んでくれた。

「リハビリがうまくいって、将来歩けるようになるとオレは信じているよ。身体がよくなったら、いつでもラオカイ事務所の仕事に復帰できるから、諦めずにリハビリ頑張れよ。」もう何度となく言った同じセリフを口にした。

10月に入って朗報が。「Disability Claim」が保険会社から認められ、4万ドル(約400万円、給料の20年分)が認可されたのだ。その知らせを正式に伝えるために、きいちはまたヤンゴンの病院に足を運んだ。

そうしたら、ラオカイにいるはずの親戚の叔父さんも病室にいた。どこからか「Disability Claim」のことを聞きつけて、最近ヤンゴンにやってきて、4万ドルを巡って奥さんといい争いをしているらしかった。お金の振り分けまでタッチするのは、所長の仕事ではないので、干渉はしなかったが、いい気持ちはしなかった。

「きいちさん、本当にありがとう。感謝の言葉もない」とスタッフからは、涙ながらに感謝された。きいちは涙をこらえながら、「とにかくこのお金は、自分自身のリハビリと奥さんや家族の生活費だから、すぐに使い切ったりせずに、これから一生のことを考えて、大事に使ってくれよ」と言い渡した。

医者でもない、家族でもない、所長のきいちが組織人としてやれることは非常に限られていた。金のことだけだ。ドライバーとの示談、病院への搬送、保険会社への請求、その程度のことしかできなかった。

特に、ラシューからヤンゴンへの再搬送では責任を果たせなかったので、保険会社がDisability Claimを出すと聞いた時には、心底ホッとした。金の面では、とりあえずできる限りのことはやったので、後悔はない。

そしてこの事件を通して、所長という職責の重さ、自分が動かなければ、誰も代わりに動いてくれる人はいないことを学び、リーダーとしての自覚が芽生えていったのだった。

(つづく)

きいち

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
『コーカン紛争2009』 5.リーダーの自覚 世界平和への旅 〜そして、わが祖国編〜/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる