世界平和への旅 〜そして、わが祖国編〜

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zoom RSS 彭家声の逆襲

<<   作成日時 : 2015/02/19 08:36   >>

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先週、腰を抜かすニュースが、ミャンマーの友人から届いた。

「きいち、大変だ!彭家声(ポン・ジャーション)が兵隊を引き連れて果敢(コーカン)に戻ってきて、ドンパチやってる。彭家声のリベンジだ!」

…本当にびっくりした。忘れもしない、2009年8月のあの熱い夏。果敢に赴任して7か月目に起きた「あの事件」から、5年半たって、彭家声のグループがリベンジしにきただって?

急いで、ミャンマーや中国のメディアで情報を調べるが、散発的な情報しか入ってこない。

「2015年2月9日に、ミャンマー政府軍とミャンマー民族民主同盟軍(彭家声の軍隊)の戦闘が開始。12日、政府軍は老街(ラオカイ)の制圧を宣言したが、他地域での戦闘が続いている。政府軍側の死者47名(民主同盟軍側、一般市民の死傷者は不明)、約3万人の果敢人(中国系ミャンマー人)が国境を越えて、雲南省の南傘近辺に押し寄せ難民化。中国政府は、国境沿いの治安維持をミャンマー政府に申し入れ。一方、テイン・セイン大統領は少数民族のリーダーを集めて会議を開催し、平和をアピールするも、17日になって非常事態宣言をだし、3か月間の戒厳令を敷き、現在も掃討作戦を展開中…」

一体何がどうなっているやら。ミャンマーにいる旧友に連絡を取るが、全然連絡がつかない。数日後ようやく連絡が取れると、

「状況はいつも通り複雑怪奇。ウ・ポン(彭家声の別称)グループが戻ってきたのは本当らしい。後はこれを見て、判断して」と言われ、ミャンマーの国営紙のリンクと果敢人のFACEBOOKのリンクが送られてきただけだった。

きいちは、「5年前のデジャブだな。でも昔、陣頭指揮にあたったお前なら未確認情報の取捨選択をして、必ず正しい判断を下すと信じている。安全を祈る」とメールで送り返した。

5年前に彭家声は生き延びて、モンラー特別第四区に潜んでいると噂には聞いていた。2009年8月の事件後、中国政府が彭家声を擁護するようにミャンマー政府に申し入れをしたため、事件の3か月後には中国国内やミャンマー国境沿いを自由に動き回れるようになったらしいとか。当時のラオカイのミャンマー軍司令官も、軟禁状態が解けて、現役バリバリの軍人としてラシューで働いているとか。

2009年の「あの事件」の真相は未だに闇の中なのに、総括ができていないまま、2015年2月に新たな事件が発生してしまった。しかも、それがウ・ポンの逆襲とは…スター・ウォーズのような悪い冗談はやめてほしい。

確かに噂レベルでは、民主同盟軍の元No2でミャンマー政府側に寝返った白所成(バイ・スオチョン)が、ウ・ポンの息がかかったNo3の魏(ウェイ)ファミリーに押し込まれている、とは聞いていた。まさに戦国時代さながらの、ミャンマー辺境政治らしい話だなとは思っていた。

が、本当に彭家声が帰ってきたとは…2009年当時「あの事件」に多少なりとも関わったきいちとしては、当時はミャンマーにいたこともあり、ブログ等に公表することは避けていた。関係者に迷惑がかかるかもしれないし、何より自分が国外退去になるかもしれない。

しかし、あの事件から5年半、そろそろ時効になったかは分からないが、今回の事件を分析する上でも、過去のあの事件をもう一度振り返ってみる必要がありそうだ。

というわけで、この機会に、5年前に書きためた文章を、このブログで公開することにした。関係者に迷惑がかからないように、文章に若干の修正を加えるが、事の顛末は大枠理解してもらえると思う。次回からの、「コーカン紛争2009」の連載にご期待ください。

きいち

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