世界平和への旅 〜そして、わが祖国編〜

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zoom RSS 『コーカン紛争2009』 4.老板(ラオバン)

<<   作成日時 : 2015/02/25 08:37   >>

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さて、コーカンの背景説明が長くなってしまったが、肝心の仕事の方に話を移そう。

STWラオカイ事務所所長は、初めてのマネージャー職ということで、若干緊張しながらも、気合いを入れて赴任した。

部下はミャンマースタッフが18人。外国人は所長のきいち一人。スタッフの年齢層は20代後半から30代前半と若さに溢れていて、きいちより年上の人は数えるほどしかいなかった。到着初日に歓迎ディナーをしてもらい、年上のきいちは早速「老大(ラオダー、長男、ボスの意味)」の称号をもらった。暴力団のヘッドみたいな響きが気に入った。

何はさておき、きいちの右腕の「老板(ラオバン、社長の意味)」の話をしたい。老板は一つ年下で(でも、何故か最後まで数えで同い歳と言い張っていた)、きいちが来るまで所長代行をしていた。兄貴的存在で、スタッフみんなからの信頼も厚かった。「No.1とNo.2の関係で組織文化が決まる」とかリーダーシップ研修の耳学問で聞いていたので、まずは老板と信頼関係を構築することにエネルギーを費やした。

ちょっとジャッキー・チェンに似たイケメンで、当時は独身。父親は中国人で、母親はシャン人なので、ミャンマーに逃れてきた国民党落武者の子孫なのかもしれない。6か国語(ミャンマー語、中国語、シャン語、英語、タイ語、あと一つは忘れた)を話せる語学の達人だった。お互い中国語の方が英語よりも得意だったので、中国語で会話をするようになった。

STWラオカイ事務所の仕事言語は、中国語だ。果敢政府が中国語しか分からないということもある。スタッフの中でも、ビルマ人で中国語が分からない人が4・5人いたが、大半のスタッフは中国語(というか果敢語)の方が上手で、英語がほとんど分からないスタッフも結構いた。

「ミャンマー人」と一くくりに言っても、135の民族(大きく分けると8つの民族グループ)に分かれており、それぞれ言語が異なる。ビルマ人が人口の約7割を占めているが、残りの3割は少数民族で、同じ民族グループでも言語が若干異なったりするからやっかいだ。

スタッフのうち3人がカチン民族グループだったので、「3人は同じカチンだから、仲がいいね」と不用意な発言をしたら、「俺はジンボーで、あいつはリス、彼女はカチンだから、一緒にしないでくれ」と言い返された。みんな少数民族になればなるほど、自分の民族にプライドを持っているようだった。

STWラオカイ事務所では、ビルマ人は少数派で、少数民族の方が多数派だった。シャン族、カチン族、ワ族、果敢族…こんな辺境の中国国境沿いでビルマ人は働きたくない、という事情もあるだろうし、少数民族の方が、中国語や英語などの語学に長けている、という実際的な理由もある。少数民族はサバイバルのためか、複数言語を話せる(書けないけど)人材が多かった。

ただ、多民族の混成部隊を束ねるのにそんなに苦労は要らなかった。基本的にはビルマ人スタッフも少数民族スタッフも、老板の下に統率がとれていたからだ。ということで、きいちの最大の関心事は老板との関係構築だった。

というよりも、最初の頃は、英語と中国語、それにミャンマー語に長けている老板がいないと、仕事にならなかった。ミャンマー政府との会議では、きいちが英語で話して、老板がそれをミャンマー語に直し、果敢政府との会議では、きいちが中国語で話して、それを老板が果敢語に直す、という作業がないと、政府のカウンターパートとも、オチオチ会議をすることすらできなかった。

ある日、オフィスに突然大型トラックが5台やってきて、大量の荷物を降ろし始めた。他NGO団体からの2万個の教育キット(教科書、筆記具、カバンなど)で、全く寝耳に水の話だったので、荷降ろしを中止させた。老板にすぐ、ヤンゴンの他NGO団体に電話して、受け取っていいものか確認するように支持を出した。

1時間後ぐらいに老板に状況を尋ねると、何も状況が進展していないことが判明。一方で、トラックの運ちゃんたちは、仕事を早く終わらせたいために、プレッシャーをかけてくる。仕方がないので、自分でヤンゴンに電話して、STWが受け取るべきものだとの確認は取れたが、何しろ大型トラック5台分もの倉庫スペースはない。

老板に、ミャンマー政府と果敢政府に連絡を取って、「倉庫が見つかったらすぐにオレの携帯に連絡してくれ」と言うと、「今日はネットワークが悪いから、携帯がつながりにくい」と返された。こいつは所長の俺に指図されるのが嫌なのか?と勘繰ったが、後で聞くと別に他意はなかったらしい。

ヤンゴンの大ボスに連絡を取って、仮に倉庫を借り上げることになったら、STWが支払うということで了解をもらったので、ホッと一安心。老板に、「仮に政府機関の倉庫がタダで借りれなくても、商業用の倉庫を借りれば大丈夫だ」と伝えると、老板は、「ああ、さっきミャンマー政府の倉庫をタダで借りられるように話をつけてきたから、もう荷降ろしして、トラックを返した」とのこと。

…終わりよければすべてよしだけど、老板に「ホウ・レン・ソウ(報告、連絡、相談)」の三文字はなかった。

こんなこともあった。中国側のカウンターパートである雲南省鎮康県の役人が、別件で果敢に来ていると聞きつけて、老板の運転するバイクにまたがって(車が二台とも出払っていたので)、果敢政府まで挨拶をしにいった。

懸案もあったので、一度挨拶をしておきたかったのだが、日本人であるきいちは南傘(ナンサン)の入国管理局を通れないので、この機会を逃したら今度いつ会えるか分からない。

会ってみると鎮康県の主任は非常に気さくな人だったので、「今度時間がある時に是非食事でも一緒にしませんか?」ときいちが尋ねると、「那,我不客气了阿(じゃあ遠慮なく)」と速攻で言われ、午後3時半から早速フォンホワン・ホテルで宴席を設けることになった。

老板ときいちはついさっき遅めの昼食を取ったばかりだったので、老板は嫌がっていたが無理に引きめた。とりあえず、高級白酒(バイジュー、アルコール度数40−56度)の「五糧液」を注文して、「乾杯!(ガンベイ、飲みほさなければならない)」を主任と二人の副主任、果敢政府の人たちと始めた。

30分も経たない内にきいちと主任はすっかり打ち解け、主任は私のことを「きいち主任、中国の笑い話があってね…」「きいち主任、中日友好乾杯!」と「きいち主任」を連呼していた。

二時間後に宴会が終了した頃には、五糧液が2本きれいさっぱり「乾杯」されていた。きいちは見送りも忘れてホテルのベッドに倒れこんだ。夜中何度も起きて吐く度に、「いい歳して、こんな体力勝負をするのは、もう止めよう!」と心の中で誓ったものだ。

その二日後、朗報が舞い込んだ。5ヶ月以上待たされていた、中国国境越えのSTW支援物資に対する通行許可証が突然下りたのだ。きいちは、一人飲めないとウソをつきながら白酒地獄から逃れていた老板に、「白酒効果はすごいだろ」と自慢したら、老板は苦笑いしていた。

とにかく、最初の2・3ヶ月は、老板との信頼構築、距離の取り方に悩んでいた。一見、物腰は柔らかいけど、マイペースで自分のやり方を変えない老板は、きいちが指示を出したからと言って、「Yes, Sir」と言ってやるような柔な奴ではなかった。

そんな老板の気骨を意気に感じて、個人的には好きな性格だったが、仕事上は受け身の態度を改めて、「リーダーシップ」が大切だとか、「イニシアティブ」と取れとか、口を酸っぱく言っていた。

後から考えれば、実はきいちが「老板」なしでは仕事ができないから、言うことを聞かない老板にイライラしていただけだったのだが…そのことに気付いたのは、ある事件がきっかけだった…

(つづく)

きいち

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