世界平和への旅 〜そして、わが祖国編〜

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zoom RSS 『コーカン紛争2009』 7.フィールド訪問

<<   作成日時 : 2015/03/02 08:17   >>

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コーカン時代は、念願のフィールド勤務ということもあり、暇さえあればフィールドに出かけていた。

フィールドで一番困ったのは、やはり本場の果敢語はよく分からないな、ということだ。ラオカイの街中や果敢政府の高官たちとやりとりする分には、自分の北京語が通じるので結構気をよくしていたが、農民たちの話す果敢語は20%ぐらいしかわからず、スタッフの通訳なしには、意志疎通もままならなかった。

ヤンゴンの調査団と一緒に同行すると、英語⇔ミャンマー語⇔果敢語と通訳が二人必要だったりして、通訳の部分はまさにブラックボックス状態で、質問に対する答えが、的外れなこともよくあった。

これは言葉の問題だけでなく、現地人のロジックや思考回路が我々とは違うということもある。多分我々の質問は、ドナーや事業にとっては重要であっても、現地の人にとっては切実な問題ではないのだ。

例えば、「ケシ栽培当時と較べて生活はよくなりましたか」と聞いているのに、「アヘンは身体によくない」とか、「学校の校舎が不足している」とか、予想もしない方向から答えが返って来るのだ。

また、質問はよっぽどうまくしないと、誘導尋問になる危険性もある。「良くなりましたか?」と尋ねると、「良くなった」という答えが返ってきて、「悪くなりましたか?」と聞くと、「悪くなった」という答えが返ってくるのだ。

結局、最後は数字の質問に終始してしまう。それでも果敢語で「昔は子どもが3人に1人しか学校に行かせられなかったけど、今は3人に2人は通わせている」という答えを、通訳が英語で、「30%から70%に通学率がアップした」と訳したりしていて、正確な通訳、いい質問、はつくづく難しいなと感じた。

コーカン地域は、約2,700平方キロメートルと神奈川県よりやや広く、標高700〜2,000メートルの山岳地帯だ。果敢政府の区割では15の行政区に分かれていた。最初、行政区毎にニーズの割り出しを試みたのだが、実際に訪問して見ると、そんなに単純な話でもないことが分かった。

リーダーがいる村、一人でも若くてやる気がある村長や先生がいる村は、活気があり、やる気に満ち溢れていたが、老人や子供しかいない村は、新しい作物の導入や援助団体との話し合い自体が、そもそも難しそうな感じだった。

コーカンの中でも一番の貧困地域が、北部の山岳地帯にあるゴンジャン地区だ。ラオカイからゴンジャンまでは、車で3時間。土で整備された道路があるものの、6月から雨季に入ると、ゴンジャンより先には、ランドクルーザーでも進めない。

逆に中国の雲南省からの方がアクセスしやすいため、セーブ・ザ・ワールド(STW)は毎年トラックの「国境越え輸送許可」を中国政府から取得する必要があった。きいちが鎮康県の役人たちと白酒を乾杯するのには、それなりの理由があったのだ。

コーカンには、果敢族以外に、パラウン、シャン、ワ、リス、ミャオ、ペーなどの少数民族がいる。きいちはある日ゴンジャンのパラウン族の村を訪れた。

パラウン族の村には、学校がなかったため、村長さんから校舎を建設してほしいと頼まれた。「校舎ができたとしても、先生に払う学費や教材はどうするんですか」と尋ねると、それは後で何とかするという。

「校舎が建てば、自然と先生や教材はついてくる」という思考回路は、ミャンマーだけでなく、アフリカでもよく見聞きした。日本の青空教室を知っているきいちは、「重要なのは校舎じゃなくて、先生と生徒のやる気」、とよく言うのだが、いつもあまり理解されない。

コーカンの学校ではどこも、先生の成り手がいないのが一番の問題だった。先生が来ても親たちが学費を払えないので、先生が来なくなるという悪循環だ。先生の給料は、中国から呼んだとしても、年間7,000元(約9万5千円)程度と決して高くはないのだが、年間150元(約1,800円)前後の学費が払えない貧農が多いのだ。

ミャンマー政府運営の学校は数えるほどで、ほとんどがコミュニティーが運営する中国語の学校なので、学費が集まらないと、学校が運営できない。

村長さんは、中国語でも、ミャンマー語でも、英語(!)でもいいから、とにかく先生に来てもらって、村の子どもに学をつけさせて、お金が稼げるようになってほしい!と切実に訴えていた。質問は山ほどあったが、その真剣さにうたれて、支援をすることにした。

ケシを育てていた時代は何とか生計が成り立っていたものの、ケシ栽培が禁止となってからは、茶やカシューナッツなどの現金作物を栽培し始めたが、独立して生計が成り立つまでにはいたっていない。慢性的な栄養失調のため、15歳ぐらいの子どもでも身長が130cmぐらいしかなかった。

また、現金作物がうまく育ったとしても、それを売りさばく市場がない。ミャンマー側も中国側も、コーカンからの農作物には高い税金や規制をかけるからだ。陸の孤島コーカンが自立した発展を遂げるためには、我々援助団体の事業支援だけではなく、ミャンマー政府、中国政府双方からの政策的サポートが必要だった。

山間部にあるパラウン族の村では、急勾配の斜面にトウモロコシを植えて飢えをしのいでいたが、それでも、近くの果敢人の村から食糧を毎年半年分ぐらい借りなければ、やり繰りができないそうだ。借りた村には農作業を毎日手伝いに行かなければいけないし、利子が100%なので、返しても返しても借金が増えていくという、悪循環に陥っていた。

果敢族がパラウン族を、貧困層が最貧困層を搾取するという悲しすぎる現実がそこにはあった。自分で畑や田んぼを耕して自足自給できないのかと聞くと、水源も肥料もないから、耕しても収穫量が低くてどうしようもないとのこと。「アヘン栽培時代の方が、今より暮らしはまともだった」との言葉が印象的だった。

ゴンジャンで宿泊したゲストハウスは、想像を絶するボロさと汚さだったが、村全体に電気がないので、星空がきれいだった。まさに「星が空から落ちてきそう」な夜空で、今までの人生で、こんなに多くの星を見たことはなかった。星を仰ぎ見ながら、「ゴンジャン地区の発展を何とかしなければ」と心に誓った。

別のフィールド訪問で、中国国境沿いの村を回った時のことだ。村長さんに挨拶に行くと、さら湯が出てきた。「さら湯なのに、お茶みたいな味がしておいしいですね」とお世辞を言うと、「色んな味がするはずだよ。だってあの池から取ってきた水だからね」とスタッフから嫌みを言われた。向こうの方に茶色のドロ池が見えた。思わず、飲むのを止めた。

この村では茶畑を新しく開拓する予定で、それをSTWに手伝ってくれないかという話だった。ところが行ってみると、開拓できる畑はほとんど耕してあって、残りの土地は岩がゴロゴロで、土地も肥えていないため、誰も開墾したがらないらしい。

話し合いの結果、開墾済みだけど未使用の土地に、試験的に茶の苗を植えてみることにした。茶は植えてから収穫まで4年ぐらいかかるので、明日の食べ物の心配をしている農家にとっては気の長い話で、そんなに魅力的ではないらしい。

この村は中国との国境沿いで、道路から30メートルも脇にそれたらもう中国だ。国境線などないが、村の人たちは「ほら、あの木の向こうからは、中国だよ」と言って、良く分かっている。

これなら密入国も簡単だろうなと思っていると、村の人は中国側にも畑を持っていて、毎朝耕しに行って夕方帰ってくるそうだ。ということは、村人は毎日密出入国を繰り返していることになる。国境なんていい加減なもんだ。

帰り道、車が坂の泥道にはまり込んでしまって、身動きがとれなくなってしまった。そしたら、通りがかりの牛引きのおじいちゃんが、「俺の牛使うか!」と真面目に言ってきたので、みんなで大笑いした。雨季のフィールドは命がけだ。ぬかるみで車が滑りまくるのに加えて、片側は岩壁、反対側が崖っぷちなので、下手な遊園地の乗り物よりもリアルに怖かった。

雨期のフィールド訪問は大変だった。途中で車を降りて、1・2時間山道を歩かないといけないこともよくあった。子どもの頃父親に鍛えられたきいちの健脚も、長年の運動不足のせいか、今や30分も山道を歩くと息が上がった。しかも、コーカンの山は急勾配で岩がゴツゴツしているので、危ないったらありゃしない。

山道の先にようやく村が見えると、思わず感動する。村長さんがお茶を出してくれるのは普通だが、たまに食事の用意までしてくれる村もある。一度、鶏の煮込みがでてきたので、「鶏肉はどのくらいの頻度で食べているんですか」と聞いたら、「月に一度ぐらい」と村長さんが言っていた。

村一番の金持ちのはずの村長さんが月に一度ということは、普通の庶民はほとんど肉を口にすることはないのだろう。豪華な食事に舌づつみを打っていた手が止まり、なにやら急に申し訳なく思えてきた。支援にきているのに、逆に彼らの貴重な鶏肉を食べてしまったのだから。

この鶏肉を出してくれた村では、STWがお茶栽培の指導をしていた。 ここの村人たちは、やたらと愛想がよく、やる気満々で、農地で実施指導をしている時も、真剣に指導員の話を聞いて、色々と質問をしていた。お茶とカシューナッツ以外に、リンゴも植えたいのでどうしたらいいか、というやる気のある質問を聞いた時は、思わず感動した。この村は近い将来発展するに違いない、と確信を持った。

日本のNGO・AMDAが行っていた母子保健事業を見に行ったこともある。栄養補助食とサプリメント剤を配る事業だ。配給前に、3歳未満児の身長や体重を測ったり、妊婦への栄養指導を行ったりと、村落に入り込んだきめの細かい支援が必要となる。まさに事業の量ではなく質を重視する、日本NGOの面目躍如だ。

7歳ぐらいの女の子が赤ん坊を背負いながら、「降りろ、降りろ」と言っていたので、「ええ〜、なんで日本語知ってるの?」と尋ねると、どうやら「オリロ」というのは現地語で、「ネンネンコロリ」みたいな赤ん坊をあやす言葉らしい。きいちは語感が痛く気に入って、「オリロ、オリロ」と子供たちと一緒に合唱した。

この村の子供たちは栄養不足で髪の毛が茶色いし、みんな鼻たれで(これは関係ないか)、驚くほど小さい。さっき7歳だと思っていた子も実は12歳らしい。慢性的な栄養失調だと背が伸びないのだが、ここは典型的な栄養失調村だ。

以前ある調査で、韓国と北朝鮮(同民族)の成年男子の伸長を測ったら、10cm以上差があったという報告書を読んだことがあるが、ここの村人たちも高くて160cmぐらいで、平均ミャンマー人よりも背はかなり低そうだ。

帰り道によったお茶屋で働いていた15歳の女の子は、比較的裕福な果敢族の家庭出身で、もうすぐ小学校を卒業するということだった。卒業後はどうするのと尋ねたら、「ラオカイに出て、カジノかマッサージで働く」という答えを聞いて、きいちの心は空の雨雲よりも暗くなった。

フィールド訪問では、いつも新しい発見があった。そして、フィールド訪問から帰る度に、「よし、コーカンの発展のために頑張るぞ!」と気合いが入った。フィールド訪問は、きいちにとって、心のサプリメントだった。

(つづく)

きいち

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