世界平和への旅 〜そして、わが祖国編〜

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zoom RSS 『コーカン紛争2009』 9.コーカンフォーラム

<<   作成日時 : 2015/03/05 08:14   >>

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コーカンに所長として着任して以来、前任者からの引継ぎ事業以外にも、何か自分で新しいことをやろうと目論んでいた。ヤンゴンの大ボスからは、「政府・援助団体とのパートナーシップ強化」というお題目ももらっていた。

他団体と話をしてみると、コーカンの援助機関には調整が少ないことが分かった。大きく分けると、1)ミャンマー政府とJICA、2)国連とNGO、3)果敢政府と中国政府、の3つに分かれて、それぞれバラバラに動いている。

JICAは援助機関としては一番早くコーカン入りして、1997年から代替作物として蕎麦の普及を始め、2005年からは、農業、保健、教育、生活改善などの包括的貧困削減プロジェクトを展開していた。

JICAとミャンマー政府は3ヶ月に一度、報告会を行っていて、国連やNGOもオブザーバーとして呼ばれていたが、発言機会が少なすぎる、とNGOの同僚たちが不満を言っていた。また、果敢政府はこの中には入っておらず、独自に中国政府との援助交渉を行っていた。

JICAの人たちとは、フォンホワンに住む同じ日本人として、食事やゴルフを通じて仲良くしてもらっていたが、コト仕事の話になると、結構ガードが高かった。「連携の可能性を探るために、是非JICAの事業地を見に行かせてください」とお願いしても、「いや見せるほどの事業じゃありませんから」とやんわり断られたりした。

国連とNGOは、2003年にコーカン入りして、元ケシ栽培農家のために開発支援を行っていた。日本のAMDAが母子保健事業を行ったり、ラオカイ市内のクリニックや訪問医療を通じて、アヘン中毒者やエイズ患者に対する支援を行っている団体もいた。

きいちも、フィールド訪問を通じて、「市場へのアクセス」や「国境貿易」が鍵になると痛感していたので、何とか果敢政府と中国側(政府や貿易商)を巻き込んで、関係者みんなで一同に会して「コーカンの持続的発展」を話す「場」を設けたいと考えていた。

関係者と何度か話し合った末、「コーカンフォーラム(果敢論壇)」なるものを始めることにした。

お茶やサトウキビ、カシューナッツなどの換金作物は、いくら作ったところで売れなければ広がらない。農業の技術的な問題ではなく、如何に売るか、市場の方が重要な問題だ。農作物が売れない限りは、ケシ栽培を止めたコーカンが、カジノ経済から脱却することは不可能に思えた。

ミャンマー政府と果敢政府を口説いた後、JICAの人に話をしたら、「関係者会議は3ヶ月に一回やっているんですけどね。確かに、果敢政府や中国側は入っていないですからね」と同意を取り付け、「よしいけるぞ!」と思った瞬間、横やりを入れてきたのは、ヤンゴンの小ボスだった。

「きいち、会議をやるのは構わないけど、中国政府を入れるっていうのは、政治的にどうなのかしら?それにSTWは人道支援団体なんだから、持続的開発のリードを取るのは如何なものかしら?」(言い忘れていたけど、小ボスは女性でフランス人。性格は男前。)

「役割分担とか、目的とかいちいちうるせぇなあ。コーカンが発展すればそれでいいじゃないか!」と不満を燻らせたが、ここでケンカをするのは得策ではない。「分かりました。とりあえず第一回は、中国側抜きでやることにします」と大人の態度で妥協した。

まあ、焦らなくても、第二回の時には果敢政府の来賓として中国側を呼べばいいさ、と深謀遠慮しながら、とにかく「コーカンフォーラム」の準備に取りかかった。第一回は、まずは関係者を一堂に会することが目的なので、自己紹介の意味も含めて、まずは各人道支援団体の活動紹介と将来の計画、という超無難なお題目にした。

フォーラムの準備で一番苦労したのが、資料の翻訳だ。ミャンマー政府、コーカン政府、そしてJICAを含めた全ての参加者に理解してもらうためには、ミャンマー語、中国語、英語の三つの資料を用意しなければならない。また、会議もトリプル言語で行うため、混乱が予想された。当然、言い出しっぺのSTWが、こうした事務局作業を一手に引き受けた。

5月中旬に行われた、「第一回コーカンフォーラム」は、色々と心配していたが、成功裏に終わった。議長役の軍司令官が出張中のため代理人を送ったのは残念だったが、果敢政府からは5人も幹部が出席してくれて、「素晴らしいイニティアティブだ!」と感謝された。地元のテレビも取材に来ていた。

第一回フォーラムの成功に気をよくしたきいちは、8月中旬に行うことになった、第二回フォーラムの仕込みをするために、武漢の実家に帰省した帰りに、雲南省の省都・昆明(クンミン)に立ち寄った。中国のNGOで働いている人が、台湾人の茶園経営者を紹介してくれると言っていたからだ。

その台湾人は、昆明市の商工会議所の副会長もしているということで、招待するにはうってつけだなと考えていた。ところが会ってみると、自分が作っているお茶の売り込みや蘭の栽培の話しばかりで、自分の金儲けしか考えていないので、どうしたものかと考えた。

まあ、確かにみんな暇じゃないんだから、自分の利益と関係ない慈善事業でド田舎の果敢まで来てくれるはずはないよなとは思いつつ、彼は高級プ―アル茶を果敢で作りたいらしくて、茶園を作るには最低5,000万円ぐらいかかるけれど、その資金をSTWが出してくれるのかと聞かれた時には、正直困ってしまった。

その他に、中国の大学教授を果敢に招待する話を、STWの北京事務所と進めたりもしたが、結局、第二回フォーラムも中国側を招待することはできずに、代わりにヤンゴンからユニセフの教育担当官を呼ぶことで落ち着いた。第二回のお題目は「教育」だ。

「お茶」が本命に変わりはなかったが、「教育」もコーカンの持続的開発にとっては重要な課題の一つだった。第一回フォーラムの際には、「そんな会議やる必要ないんじゃない?」と斜に構えていた老板(ラオバン)らうちのスタッフも、第二回の頃はやる気に目覚めて、「老大(ラオダー)、第二回は教育でやろう」とスタッフから、提案してくれたのはうれしかった。

きいちもフィールド訪問を通じて、学費、先生、親の理解、学校建設、教材など、教育に関する様々な問題を聞いていたので、みんなが利害関係なしで話し合うには、教育はいいテーマかなと考えた。

STWラオカイ事務所で、7月にパートナー団体と一緒に簡単な調査を行った。コーカン全262村のうち86村(33%)を回って、学童年齢児(6-15歳)の数、生徒の数、入学率、学費、など地域別に資料を作った。

調査の結果、入学率は68%で、学童年齢児の3人に1人は学校に通えていない、ということが判明した。こうした調査はコーカン特別区では初めてだったみたいで、果敢政府やユニセフからは大変喜ばれた。

第二回フォーラムでは、今後の「行動計画(案)」まで話し合って、ミャンマー政府と果敢政府に対して、教育計画の作成や各区域での教育委員会の設置、学校基金の設立の必要性など、非常に前向きな話し合いができたのがうれしかった。

冒頭に書いたように、8月中旬の第二回コーカンフォーラム時は、ミャンマー軍と果敢軍が一触即発の状態だった。開催が危ぶまれる中、ミャンマーのラオカイ軍司令官が議長を務め、果敢政府の幹部も出席し、ユニセフの教育担当官も危険を顧みず、わざわざラオカイまで出向いてくれたのは、本当にうれしかった。

果敢政府としても平和演出のPR効果を狙っていた節があり、テレビでは繰り返し「果敢論壇」のことを放映していた。両者が平和裏に会している、果敢の未来を支える教育を話している「場」を演出できて、きいちも個人的にうれしかった。

第二回フォーラムの前に実は、日本政府からうれしい知らせが届いた。5月上旬に提出した、コーカン向け国連・NGOジョイント・プロポーザルが承認され、75万ドル(約7,500万円)がコーカンに対して拠出されることが発表されたのだ。コーカンの発展を支えるぞ、という日本政府の心意気、そして、日本国民のみなさんに感謝した。

このお金で、パラウン族の貧農や栄養失調の子どもたちを3ヶ月間、助けることができる! 2カ月後には届くであろう、日の丸が付いた支援物資を待ち望みながら、きいちはコーカンの更なる発展に夢を描いていた。

そう、あの事件が起こる前までは…

(つづく)

きいち

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