世界平和への旅 〜そして、わが祖国編〜

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zoom RSS 『コーカン紛争2009』 10.果敢紛争勃発!

<<   作成日時 : 2015/03/06 08:19   >>

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ここで、冒頭の話とようやくつながる。

第二回コーカンフォーラムの翌日、フォンホワンのマネージャーから「一緒にご飯を食べよう」と誘われたので、行ってみたら、果敢政府の幹部が揃っていた。いやな予感がした。

果敢政府幹部は、「ヘロイン密造は全くの潔白」「工場に査察に入って何も見つからなかったから、今頃になって武器製造は非合法とか言いだした。ミャンマー政府は、20年前からあそこに武器工場があることは知っているはずなのに」「5年前にも査察をしたが、何も見つからなかった。難癖をつけているとしか思えない」とミャンマー政府への批判を口にした。

普段はお酒好きな幹部たちも、お酒に全く手をつけずに、「これからパブリック・ミーティングがあるから」と一時間ぐらいで宴会を切り上げて、足早に去っていった。

きいちは一人残ったフォンホワンのマネージャーに「ミャンマー軍の傘下に入る代わりにカジノ利権を認めてくれとか、実は水面下でギリギリの交渉をしているんじゃないの?」と聞いてみた。

彼は思いつめた口調で、「ミャンマー政府は全く信用できないから、交渉のしようがない」「中国も助けてくれるとは思わないが、戦う以外に道は残されていないんだ」とつぶやいた。

後から考えると、あの時点で果敢政府側はかなり切羽詰まっていたのだろう。コーカンで唯一中国語が分かる日本人のきいちに、紛争回避のための何らかの行動を期待していたのかもしれない。

ただ、当時はそこまで追い詰められているとは本当に思っていなかった。きいちは日本に一時帰国のため、8月23日にコーカンを離れ、24日にヤンゴンで大ボスに近況報告をした。

「ミャンマー軍と果敢軍の間で緊張は高まっているものの、まだ政治的な交渉ステージなので大丈夫」「交渉が決裂すれば、武力衝突の可能性もあるが、交渉期限は10月なので、当面は何も起こらないはず」「果敢軍のバックには中国人民解放軍がいるので、ミャンマー軍もそう簡単には手出しできないはず」と、楽観論を言い残して、日本に帰国した。

ところが、これがとんでもない読み違いだった。全ては後から知ったことだが、8月22日深夜、彭家声と彼の3人の息子たちに対して、ミャンマー政府が非合法武器製造の罪で逮捕状を発出した。

この逮捕状を機に、果敢軍No.2の白所成(バイ・スオチョン)がミャンマー軍側へ寝返り、果敢軍はポン派とバイ派の二つに分裂してしまったのだ。フォンホワンで一緒に食事をした中堅幹部たちもバイ派に付き、少数派に転落した彭家声(ポン・ジャーション)とその家族は、25日に果敢から逃げ去ったという。

24日のラオカイ市内はミャンマー軍とバイ派に抑えられ、8月二度目の難民騒ぎが起き、緊張が高まった。スタッフによると、電気、電話、インターネットの使用も不能になり、8月8日とは緊張の質が明らかに違ったそうだ。

きいちは二つの点で読み違いをしていた。一つ目は、中国政府が果敢政府を必ず守ると思っていたこと。二つ目は、果敢軍は彭家声の指導の下に、一つだと信じて疑わなかったことだ。

ミャンマー軍によるNo.2の寝返り工作は、かなり以前から仕組んでいたようだ。さすが、大英帝国から「Divide & Rule」の薫陶を受けただけのことはある。

27日に中国国境付近のヤンロンジャイ(中国・南傘の向い)で、ポン派が39名のミャンマー政府警察官らを拘束。ある噂によると、フォンホワンの「彼」が、警察幹部を射殺したことで、ポン派とミャンマー軍の間で激しい戦闘が始まったそうだ。

あの温厚で、いつもジョーク好きな、酒も口にしない「彼」が戦闘の口火を切る引き金を引いたとは、未だに信じがたいが、彭家声と姻戚関係にある果敢政府の幹部というポジションが、そうした行動を取らせたのかもしれない。その噂が本当だとしたら、彼は男の中の男だ。彼の心中を察すると、やるせなさで涙が出てきた。

運命の8月27日。午後4時頃ついに戦闘が始まった。その日は朝から緊張が高まっていたため、NGO職員とその家族約80名が、安全確保のためSTWオフィスに移動してきた。その日は夜までロケット弾の音が聞こえてきたそうだ。

8月28日。中国国境沿い付近で戦闘が続く。噂では、中国国境を越えたポン派の果敢軍十数名を中国人民解放軍が射殺したという。にわかには信じがたいが、この噂が本当だとすると、中国政府は果敢軍を見捨てたばかりか、ミャンマー政府と裏でつながっていることになる。

8月29日未明、STWオフィス付近で激しい銃撃戦が起こる。それまで戦闘は中国国境沿いだけで、ラオカイ市街では行われていなかったが、ついに市街戦が始まった。朝、オフィスの前には、流れ弾に当たった民間人の死体が。オフィスの壁の至る所に、血痕や銃痕が残った。

29日早朝、ミャンマー軍がSTWオフィスに押し入り、NGOスタッフ全員をホールドアップさせ、オフィスの中にポン派の残党が隠れていないかチェックした。銃口を向けられたこの時の体験がトラウマになり、ラオカイに戻って仕事はしたくないというスタッフも現れた。

実は、日本に帰国後、戦闘開始の知らせを聞いて、老板(ラオバン)とはGtalkやメールで連絡を取り合っていたのだが、29日未明の事件を聞いて、すぐ電話したところ、「中国側に避難したいので、何とかならないか」と、切羽詰まった感じで頼まれた。

きいちは、以前白酒を飲んで意気投合した、鎮康県の幹部に日本から電話をしたが、彼は会議で別の場所にいるため、現地の状況は分からないと言われた。また、こうした非常事態では、人民解放軍が国境管理に当たるので、彼としてもどうしようもないらしい。「国境が封鎖されている可能性もあるから、実際に行ってみないと、国境を越えられるかは分からない」との回答を、老板に伝えた。

心配になったので、ヤンゴンの大ボスに電話して、「休暇を返上して、今すぐにでも現地に戻りたい」と言ったら、「今帰ってきても現地には入れないし、今は如何にスタッフを撤退させるかが重要だから、俺に任せてお前は日本でゆっくり休んでいろ」と言われてしまった。

8月29日午前中に、ラオカイ市街での銃撃戦は止んだが、30日以降も散発的に銃声が聞こえていたそうだ。国境沿いの山岳地帯でミャンマー軍によるポン派の残党狩りが続いていたからだ。同日、ポン派700名の果敢軍は、ミャンマー軍ではなく、中国人民解放軍に投降して、武装解除した。

29日早朝の事件がもとで、オフィス内部ではみんな落ち着きがなくなり、内部で多少のイザコザも起きたようだ。女性・子ども優先の食事の順番を守らずに割って入る男。ホールドアップがトラウマになり、夜眠れずに兵士の幻覚を見るスタッフ。生後一週間にも関わらず、オフィスがカオス状態のため、全く泣かない赤ん坊。自ら率先して食事や掃除をする女性スタッフ。どうでもいいことでいい争いばかりする男性スタッフ。撤退の際、荷物制限があるにも関わらず、大きな荷物を持ち込もうとする者、などなど。

実は29日にヤンゴンからようやく撤退命令が出たのだが、ミャンマー軍の司令官からオフィスの敷地からでないよう通達があったので、現場では撤退できなかった。9月3日にようやく司令官から退去OKの命令が下り、16台の車列を組んで、ラシューまで撤退した。STWの車両は、先頭と最後尾で車列の安全確保に務めた。

車列が2時間のドライブの後、コーカンとシャン州の境にある橋を渡ってミャンマー側にたどり着き、出迎えの車をみた瞬間、スタッフは泣き崩れ、誰かれ構わず抱き合って喜んだという。

9月1日、国家開発委員会(SPDC)は、コーカン地区開発指導委員会(委員長:テン・セイン首相)とコーカン地区開発作業委員会(委員長:ポン・シュエ内務副大臣)の設立を発表した。

それまでは、ミャンマー軍ラオカイ司令官が開発委員会の委員長を務めていたのだが、今回の事件を機にお役御免となった。政府軍の死傷者が多く出たためか、ポン主席を捕まえられなかったためか、理由は不明。ラシューの自宅で処分の決定を待っているとのことだった。

ラオカイ元軍司令官は、温厚でいい人だった。敬虔な仏教徒で、ここ3ヶ月間肉を全く口にせず、毎日コーカンの平和のために祈っている、とコーカンフォーラムの時に語っていたのを思い出す。「ただ、軍人として、上から命令が来たら、従う他ない」とポン主席にも直接ハッキリと語っていた。

ここからは個人的な憶測になるが、「ポン主席はお父さん」と公言していた元司令官は、実は最後の最後でポン主席を捕まえることはせずに、逃したのではないか。司令官というポジションと平和主義という個人的な信念のジレンマで、彼も相当苦悩したのではないか、と推察する。

ポン主席と一緒にヘロイン密売に関与していたから処罰された、と噂する心ない人たちもいたが、きいちは平和主義者の司令官が、最後の最後でポン主席に逃げ場を与え、そのために解任の憂き目にあったのではないかと思う。フォンホワンのマネージャーではないが、ここにも個人の良心と社会的ポジションで苦悩する、ヒューマンドラマがあったはずだ。

彭家声、フォンホワンの「彼」、ラオカイ司令官は、個人的に好きだったし、男として未だに尊敬している。

(つづく)

きいち

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