世界平和への旅 〜そして、わが祖国編〜

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zoom RSS 『コーカン紛争2009』 14.紆余曲折

<<   作成日時 : 2015/03/10 08:42   >>

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年が明けて2010年1月、きいちはついに意を決した。このまま中途半端な形で、いつまでもヤンゴンで待機していても仕方がない。他国のSTW事務所に異動届けを出すことに決めた。

小ボスは「本気なの?」と驚いていたが、大ボスはフィールドに行けないきいちのイライラを感じとっていたみたいで、「そうか、残念だけど仕方がないな」と理解を示してくれた。

嫁さんは、家族と一緒にミャンマーに来て、すっかりミャンマー・ファンになったみたいで、「そんなにいい環境にいるのに、移動するなんてもったいない。またヤンゴンに遊びに行きたかったのにー」と文句を言っていたが、最終的には理解してくれた。

コーカンでやり残したことをやるためには、もう一度地方の事務所長をやるしかないと思い、アフガニスタンやスーダン、シエラレオネなど紛争国の地方事務所の職に応募して、結果を待つことにした。

応募をしてから1ヶ月も経たない内に、南部スーダンの地方事務所マラカルの事業担当というオファーがきた。

「あれ、マラカルには確かに出したけど、事務所長ポストに出したんだけどな。何かの間違いかな?」と思って、本部に問い合わせるが音沙汰がない。仕方がないので、「事務所長ポストだったらいいけど、No.2だったらお断りします」と返事をした。

きいちもSTWで働いて早9年。昔は生き残るのに必死で、どんなポストでも「ハイ!ハイ!」と手を挙げていたが、最近は選ぶ余裕が出てきた。それに通常、人事異動の発表は3月のはずなのに、なんで2月にこのポストだけ決まったのかも不思議だった。

南部スーダンの大ボスからは、「大変だから早く来てくれ!」とメールが来ていたので、よほど人手が足りなかったのだろう。申し訳なく思ったが、三月の通常の人事異動の結果を待つことにした。

3月末、いよいよ人事異動の結果発表があった。

中国、北京、資金調達

しばらく目が点になった…なんと応募してもいない、STW中国事務所のNo.2ポストだったからだ。

あれ、俺のアフガニスタンは、スーダンはどこへ?ホトホト嫌気がさしていた、あの現場から一番遠い、資金調達の仕事をまたやるのか…

いやー、こんなことだったら、No.2でもいいからスーダンのマラカルポストを取っておくべきだったなと思ったが、後の祭りだった。

ただ、「二足のわらじ」のもう一方から見れば、家族は大喜びだろう。北京で家族と一緒に暮らすことになれば、嫁さんの家族もうれしいはずだ。

「現場の最前線で働きたい!」という気持ちは強かったが、家族とも一緒にいたい…色々と悩んだ末、このオファーを受けることにした。

北京にいけば、日本の民間企業に転職できるかもしれない。やはりSTWの中では自分の強みは資金調達と中国語なんだなと思った。北京で中国の政府と民間企業を相手に、一発ドでかい仕事をかましてやるか、と前向きに考えられるようになってきたのだ。

このポストは、北朝鮮事務所との調整役を兼ねているのも気に入った。北朝鮮関係の仕事なんて、中々できるもんじゃない。物は考えようで、北京の仕事が段々と面白そうに思えて、ワクワクしてきた。

そして、大ボスと合意の上、きいちはラオカイ事務所長の職を辞めて、北京の資金調達のポストのオファーを受け入れる旨、本部に連絡を取った。

…ところが、これで話しは終わらないのが、人生の面白いところだ。

異動の内示が発表されて、オファーを受け入れてから1ヶ月経つのに、本部からは待てども暮らせど、正式な辞令が来ない。

そんなある日、バンコクにあるアジア地域事務所から、いやな噂を聞いた。北朝鮮の大ボスが、日本人は平壌に来れないからという理由で、本部の決定に反対しているらしいのだ。やっかいなことに、この北朝鮮の大ボスは実力者で、本部にもかなりの人脈がある。

本部の決定が覆ることなんてまさかないだろう、そもそもきいちは中国事務所に所属するのであって、北朝鮮事務所で働くわけではないしとは思っていたが、不安な日々が続いた。

そして、5月に入って耐えきれず、本部にメールで問い合わせたところ、その日のうちに返信が来た。

スーダン、ザリンジ、事務所長

「ウォー!!」メールを見て思わず叫んでしまった。同じ部屋で働いていたワ州の中国人事務所長は、何事かと振り向いた。

最近、本部できいちのケースが話し合われたみたいで、結果、北朝鮮の大ボスの意見が通り、代わりに本部はスーダンのダルフールの地方事務所の所長のポストをオファーしてきたわけだ。

ところでザリンジってどこだろう、と早速グーグルマップで調べて見ると、ダルフールの中でも一番の危険地帯と言われている、チャドとの国境沿いの西ダルフールに位置していた。ザリンジ関係のニュースを探してみると、最近部族衝突が激しくなっており、国内避難民が急増中で、PKO部隊も最近ザリンジ近郊で殺害されたらしい。

早速、ダルフールで働いている同僚の日本人にSkypeで連絡を取る。彼曰く、ザリンジの治安面とSTWダルフール事務所のダメなマネジメントの両面から見て、断った方がいいと進言してくれた。2009年、支援関係者だけで6名も誘拐事件があったらしい。

さあ、どうするべきか。これで三度目のオファーだ。さすがにこれも断ったら、もうヤンゴンに残るというオプションぐらいしかないだろう。不完全燃焼なヤンゴンの日々に自分は終止符を打ちたかったんじゃなかったのか。しかも、今回は希望通り、所長ポストじゃないか。紛争国の最前線で働きたかったんじゃないのか?何を迷う必要がある?

…結論は最初から決まっていた。

残るは家族の説得だ。「北京で家でも買おうか。二人目の子どもはいつ頃つくろうか」という1ヶ月の夢物語から覚めて見れば、なんと地の果てダルフールでの別居生活だった。

嫁さんからは、「もうSTW辞めれば」「育児のために一年ぐらい長期休暇、取れないの」「よりによってダルフールだけは行かないで」と予想通りの反応が返ってきた。ただ、2・3日後には、「行ってもいいけど二つ条件があるわ。一つは、二人目の子どもは諦めること。もう一つは、7月に1ヶ月休みを取って、子どもの病院や学校の手続きを日本であなたがすること」…いつもながら、嫁さんの気持ちの切り替えは早い。

「ダルフールvs家族」を天秤にかけたくはなかったが、不完全燃焼感のままSTWを辞めたら、将来きっと後悔する気がした。「単身赴任はこれで最後にするから、今回だけはダルフールに行かせてくれ」と頼み込んで、嫁さんから最終的に了承をもらった。

たった1ヶ月で気持ちがコロコロ変わって、我ながら情けないが、やはりこれも運命なのだろう。

史上最悪の人道危機と言われているダルフールで、人道支援の頂点を見極めてやろうじゃないか。チャレンジ精神から、腹の底にフツフツと気合いが入ってきたきいちだった。

異動先も無事決まり、ダルフール行きの準備で忙しくなってきた6月中旬、大ボスの部屋に呼ばれた…

(つづく)

きいち

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