世界平和への旅 〜そして、わが祖国編〜

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zoom RSS スーダンの歴史C 南北内戦

<<   作成日時 : 2010/08/28 06:03   >>

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スーダン歴史シリーズの最後として、南北内戦の経緯をまとめときます。

スーダン独立の前年1955年に第一次南北内戦が勃発した。第一次内戦はイギリス統治時代の南北分断政策が原因となった。北部では大規模灌漑農業などで経済発展を進める一方、南部ではイスラム的要素を排除し、キリスト教など西欧文化を一部エリートに教える以外は、伝統的生業や文化の維持をさせ、経済発展を阻止した。1924年に始まった南北分断政策は、北部の圧力もあり1946年に再度、南北を統一する。その際、アラビア語が南部の公用語とされ、英語を修めた南部エリートは政権に入れられず、北部エリートが全ての権力を握ったため、南部で不満が高まり、独立後の連邦制という約束が反故にされたため、南部の指導者たちが自治、あるいは完全独立を求めて、反乱を起こした。

1972年に南部の大幅な自治を認めるアジス・アベバ合意が成立し、第一次内戦は終結した。南北の社会経済の発展不均衡を残したまま、内戦による経済の疲弊が南部に大きく及ぶ中、1983年にヌメイリ政権のイスラム化運動が始まると、南部ディンカ人のジョン・ギャランの指導のもと、スーダン全体の変革を目指して、新しいスーダンを創るために南部は立ちあがった。第二次内戦は、アラブ系と非アラブ系、ムスリムとキリストという戦いではなく、政府側と反政府側という戦いだった。実際、政府側に南部の非アラブ系キリスト教徒が加わったり、反政府側に北部のアラブ系ムスリムが参加したりしていた。

1989年にバシール准将によるクーデターが起こると、内戦の性格が大きく変わり、政府側はイスラム原理主義勢力が権力を握ったことで、内戦をイスラム化のためのジハード(聖戦)だと規定し、南部をアメリカが支援し出した。南部の反政府勢力SPLAは1991年に援助物資の配分問題やギャランの権威主義への批判をきっかけに分裂した。政府は直ちに反ギャラン派に財政、軍事面で援助を与え、SPLA内部での戦闘が始まった。1995年にはSPLAギャラン派と北部の反政府勢力が結びつき、政府側は南部の部族主義をうまく利用して、反ギャラン派を抱き込み、内戦は混迷の度を極めた。

ところで、第二次内戦が始まった1983年時点で、スーダン武器輸入の約半分をアメリカが占めていた。が、1989年にバシール政権が誕生すると、アメリカからの武器が入らなくなり、政府は中国やイラン、ロシアから武器を補給するようになった。政府軍はこれらの武器を、南部の反SPLA勢力やウガンダの反政府勢力LRAに武器を供給した。一方、SPLAは当初はエチオピアやリビアから武器供給を受けていたが、1989年以降はウガンダやケニアを通じて武器の供給を受けた。その背後にアメリカがいたことは言うまでもない。銃は南部人の社会生活や価値観も変えた。かつては牛がもっとも重要な財産だったが、今日では銃が力、美しさ、強さの象徴とされ、踊りの中心も牛の真似から銃の誇示に変化したと言う。

長引く南北内戦によりスーダンでは約400万人の国内避難民が出た。スーダンの人口が約4000万人なので、10人に1人は避難民という異様な事態だ。その多くが南部人と言われており、その内北部の首都ハルツームとその周辺に200万人がいる(2001年時点)。ハルツームの人口が約400万人なので、その約半分が国内避難民という計算になる。避難民は市民として認められていないので通常の仕事にはつけず、酒造や売春、路上の物売りなどで生計を立てたと言われている。また、避難の途中で家族から離れ、棄てられた子供たちに政府はムスリム教育を施し、兵士に育てたと言う。当初、北部の避難民は国際援助を受けていなかったが、1996年以降キャンプ内の衛生、飢餓状況が悪化し、政府も食糧援助や医療活動を認めるようになった。

南部の避難民はもっと悲惨で、1988年の干ばつで数十万人が飢えで死んだとされている。こうした状況をうけて、1989年から国連、政府、SPLAの三者合意による「スーダン生命線作戦(Operation Lifeline in Sudan, OLS)」が開始され、食糧やその他の援助物資が避難民に提供された。南部は広大で道路が未整備な上に地雷が敷設されていたため、援助物資の大半はケニヤのロキチョキオから空輸された。

OLSへの批判もある。援助物資が政府軍やSPLA、他の武装勢力の手に渡っていたという噂や、欧米のキリスト教系NGOが食糧と一緒に聖書も配って布教活動をして信者を増やしたという話、SPLAに武器を提供していた疑いがある団体などである。真偽のほどは分からないが、あり得ない話ではない。

富田氏の本は2001年までで終わっているが、その後2002年から和平合意がアメリカ、イギリス、ノルウェーの仲介などで進み、2005年1月に包括的和平合意(CPA)が南北の間で結ばれ、6年後つまり2011年1月に住民投票で統一か独立かの決定をする予定だ。これまでの経緯を振り返ると、到底南北問題が平和裏に解決するとは思えない。スーダン人の智恵と国際社会の真摯な対応が求められている。

ブログ記事を4本一気に書くとさすがに疲れる。読者のためというより、自分の頭の整理のために書きました。全部読んでくれた方、おつかれさま&ありがとうございました。これであなたもスーダン通です。

きいち

参考図書:『スーダン もうひとつの「テロ支援国家」』(富田正史、2002年、第三書館)

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