世界平和への旅 〜そして、わが祖国編〜

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zoom RSS 『コーカン紛争2009』 11.果敢紛争の背景

<<   作成日時 : 2015/03/07 04:51   >>

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ここで果敢紛争の背景を、簡単にまとめておこう。何故、ミャンマー軍が、果敢軍を叩く必要があったのだろうか。

そもそもミャンマーは1948年に大英帝国から独立して以来、国として武力的に統一されたことは一度もない。1947年に締結されたパンロン協定では、建国の父アウンサン将軍が、少数民族への自治権と、独立後10年経ってからミャンマーへの帰属の有無を決定する、と合意された。

1960年代に入り、ネ・ウィンが武力を背景に、無理やり少数民族地域をミャンマーの傘下に抑えつけたものの、果敢やワなどは独自の軍隊を持ちながら、ケシ栽培で得た資金力を背景に、中央政府の影響力が実質的にはない土豪支配地域として1980年代まで過ごした。特に、中国国境沿いの少数民族は、中国共産党の後ろ盾があり、ビルマ共産党と一緒に反政府闘争を繰り返し、紛争が絶えなかった。

その後、キン・ニュンの尽力などにより、1989〜90年にミャンマー政府は17の少数民族と和平合意を結び、ミャンマー政府の影響力が徐々に辺境地域に浸透していった。

冷戦後、中国が市場経済路線を歩み、国際社会の仲間入りをするなか、中国からのケシ栽培撲滅に対する圧力が高まっていき、2002年に果敢で、2005年にはワ州でケシ栽培撲滅が宣言された。

少数民族勢力は、生き残りのためカジノ経営などの資金力で、自前の軍隊を維持し、ミャンマー政府と対等の政治的関係を保とうとしていた。

一方、ヤンゴンでは、1988年に民主化運動が始まり、国際社会からのプレッシャーもあり、総選挙で(形だけでも)民主的政権を打ち立てることが、ミャンマー政府の至上命題となった。

2008年5月、サイクロン・ナルギスの直後に行われたミャンマー史上初の憲政選挙では、国民投票で有権者の92.5%が憲法に賛成したことで、2010年に予定されている議会選挙の後に、新憲法が発効する運びとなった。

この新憲法では、「一国一軍」を唱えていて、全ての武装勢力は、ミャンマー軍の傘下に入ることが決められた。国境沿いの武装勢力はすべて、「Border Forces(国境部隊)」に編入されることになった。1部隊300名、将校26名、司令官3名(うち一人はビルマ族)などの詳細まで、少数民族との合意もなしに、勝手に決められた。

この新憲法案に基づいて、2009年4月に、ミャンマー軍から各武装勢力に対して、「早く武装解除して編入するように」要請があった。が、果敢、ワ、カチン、モンラーなどの中国国境沿いの少数民族勢力はいずれも要請を拒否し、和平軍事同盟(一地域が攻撃されたら、他地域も一緒に反撃する誓い)を結んだ。

業を煮やしたミャンマー軍は、全ての少数民族勢力は10月までに武装解除し、国境部隊に編入するよう、最後通牒を出した。そして、政治的には重要だが、武力では他地域に劣る果敢に狙いを定めて、6月頃から猛烈なプレッシャーをかけ始めた。

7月には約1,000名の果敢軍に対して、5,000名以上のミャンマー軍部隊がコーカン特別区を取り囲み、一触即発状態となった。その後、8月8日の武器工場の査察に始まり、8月27日‐29日に大規模な戦闘がコーカンで起こり、果敢軍が(中国人民解放軍に対して)武装解除したことで、コーカンはミャンマー軍の支配下に置かれた。

9月8日、政府のアレンジにより、ヤンゴンにいる50名の外交団が果敢を視察した。その時点でのミャンマー政府の公式発表は以下の通りだ。

「7月下旬のマンダレーでの中国政府との閣僚会議で、果敢の非合法武器工場の情報を入手した。8月8日に武器密造の疑いで、彭家声以下5人を告発。27日に武器工場の警備にあたっていた警官隊が拘束されたので、救出交渉を試みるも、ポン派からの攻撃があったため、止むなく応戦。29日までの戦闘で、11名の政府軍兵士、15名の警官隊が死亡。果敢軍ポン派と思われる8人の遺体を発見。政府軍は、重軽火器400、各種武器200、非合法密造武器40以上を押収した。18万錠の覚せい剤を含む、大量の麻薬関連品も押収。果敢地区は2008年に批准された憲法に基づき、2010年の総選挙以降、自治区となる。今回の出来事は、少数民族問題でも、政治問題でもなく、彭家声とその支持者による不法行為だった。」

この発表からいくつもの重要なことが読める。

第一に、やはり中国政府は、国境沿いの少数民族武装勢力を見捨てたのではないか、という疑惑だ。7月下旬の中緬閣僚会議で、果敢を叩くという暗黙の了解があったのではないか。それに先立って、6月中旬に政権No.2のマウンエイ氏が、温家声首相と北京で会談していたのも気になる。

ミャンマーからの石油・ガスパイプラインと、インド洋への軍事的アクセスは、中国にとって戦略的に重要だ。ミャンマーを欧米勢力の手に渡すわけにはいかない。

貿易額の6割を超える中国の意向を無視して、ミャンマー政府がコーカン掃討作戦を展開したとは思えない。中国が、資源的、軍事的な見返りのために、同胞である果敢族を裏切った可能性は否定できない。

中国外交部の報道官は、今回の事態に関して、「ミャンマーに内政干渉したことはない。平和的解決を望む」と、内政不干渉の原則の体裁を表面的には取り続けた。

第二に、今回のコーカン紛争は、他の少数民族地域に対する、見せしめ効果を狙ったものだった。軍事的には見劣りするものの、コーカンは最初に和平協定を結んだ「第一特区」であり、彭家声の政治的存在は、少数民族の中でも随一だった。

実際、9月中旬、カチン軍はミャンマー政府の傘下に入ることを了承し、ワのパオ・ユーチャンも、「ビルマ連邦の下で、民主的自治区になることを望む」という発言をした。

国境部隊への編入期限が10月と迫っており、ミャンマー軍とワ軍や他の少数民族勢力がいつ前面衝突するかということで、シャン州の中国国境沿いでは、軍事的緊張が高まった。

第三に、今回のコーカン紛争は、ビルマ族による少数民族弾圧ではなく、あくまで犯罪者「彭家声とその取り巻き」を国家が取り締まった、という体裁を取っている点だ。国内政治的に敏感な「少数民族問題」を回避するために、ポン一派の犯罪性を強調しつつ、武力衝突での被害も最小限度のみ発表している。

実際には、両軍あわせて200名以上が死亡した、中国人経営者の商店が略奪された、果敢人の婦女がミャンマー軍にレイプされた、という噂が民間人の間ではささやかれていた。

9月上旬に、約1万人の果敢人は、中国側からすでに帰還したとミャンマー政府は発表したが、国連は、一時3万7千人が難民として中国側に避難し、中国の国営避難民キャンプに、2万人以上が滞在していると発表した。

8月下旬以降、消息が途絶え、ワ州にいる、香港にいる、いや実は中国が匿っているなど、彭家声の消息に関して、色々な憶測が流れた。きいちが一番信憑性が高いと思った情報は、8月29日までワ州のナムティットにいたが、清水河(果敢とワ州の境)の陥落を見届けてから、ワ州、モンラー経由でラオスに移動した、というものだ。

そんな折、彭主席が9月14日に中国の鳳凰電子台のテレビインタビューに登場し、次のように語った。

「8月8日(の武器・麻薬密造事件)はミャンマー軍事政権の言い訳に過ぎない。果敢の麻薬撲滅の成功は国連も認めている。ビルマ軍は、民族の軍に過ぎず、国を代表したものではない。8月27日に多くの無辜の若者たちが銃殺された。武器工場の存在は、かなり以前からSPDC(国家平和発展評議会)は認知していたし、訪問もしていた。シャン州の4特区ではケシ栽培は行われていないが、SPDC支配下で約4万エーカー以上のケシ栽培がなされている。華人が住む果敢を攻撃したのは、ミャンマー軍事政権が米国に中国の傀儡政権ではない、ということを証明したかったからだ。」

きいちは、インタビューの中身よりも、彭主席が無事なことにまずホッとした。「戦神」は、さすがにあの程度の紛争で、やられることはなかった。その後、フォンホワンのマネージャーも無事かどうか心配になり、携帯に電話して見たが、番号はすでに使用不能になっていた。彼の無事を祈るばかりだ。

ミャンマー軍、コーカン軍、中国、アメリカ、色々な言い分や思惑があるのだろうが、「憲法」や「民主主義」という抽象概念のために、少数民族を迫害したり、無辜の民の殺害するのは止めてほしい。

コーカンの将来はこれからどうなってしまうのか。あのパラウン族の貧農には、栄養失調の子どもたちには、明るい未来が待っているのだろうか。援助団体が村人たちと一緒に積み上げてきた10年来の努力が、たった三日の武力衝突で水泡に帰してしまうのか。

圧倒的なパワーポリティクスの前に、人道支援や開発援助の役割など吹けば飛ぶような存在だった。虚しさだけが残った。

(つづく)

きいち

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