世界平和への旅 〜そして、わが祖国編〜

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zoom RSS 余剰の時代

<<   作成日時 : 2015/04/06 08:22   >>

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ミャンマーネタも、とりあえず書き尽くしたので、久しぶりに書評やります。

『余剰の時代』(副島隆彦、2015年、ベスト新書)

「人類最大の解けない問題―それは余剰(サープラス)。最後に余ったのは“人間”。つまりあなたのことだ!」

本帯がなんとも刺激的なソエジーの最新作。ソエジー読者としては、半分以上、今までにどこかで聞いたことのある話だが、こういう組み立て方はなかったので、新鮮な切り口だった。

以下、簡単にまとめる。

余剰・過剰は人類最大の問題だ。余剰生産物、過剰在庫のことではなく、それはスバリ失業しそうなあなた(若い人間と稼げなくなった中高年たち)のことだ。19世紀後半から、ハイデガー、ケインズなどの思想家が解けなかった難問に副島氏が挑んだ。副島氏の結論は、「それでも、人間は生き延びなければならない」だ。

楽天主義(オプティミズム)ではうまくいかない。オプティマとは最高到達点、最適状態を達成できるという考えで、啓蒙思想のエンライトと同類の言葉だ。

このオプティミズムに激しく反対したのが、フランス最大の思想家ヴォルテールだ。主著の『カンディード(天真爛漫、アホ)』では、「オプティミズムでは、どうせうまくゆかない」と批判した。

ヴォルテールは、「機械論的宇宙論」、すなわち「この世の現実にあるものはすべて合理的(ラッショナル)である、うまく解決するように初めからできている、予定調和である(キリスト教カルバン派の思想)」と主張した、ドイツ人思想家のライプニッツを激しく批判した。現実の世界は厳しくて、苦しい。物事は簡単には解決しない。それが21世紀の人間たちが生きる今の世界ではないか、と副島氏は言う。

ヴォルテールは、ルソーとも激しく衝突した。ルソーは人間の絶対平等主義を唱えた過激な平等主義者で、フランス革命という暴動の生みの親だ。その後、社会主義思想が生まれて、強制収容所と政治犯の牢獄を作っていったのは、20世紀の歴史が証明している。ヴォルテールは、「お前の考えは過激で急進的であるぶんだけ愚かで、人類に災いをもたらす」と警告した。

経済学者のケインズも、物事をまず疑ってかかる懐疑主義、ペシミズムから考えた。リカアドオのような市場原理主義ではなく、マルサスが提唱した総需要(デマンド、人々の欲望)を作り出すことが重要だと考えた。「リカアドオ派の理論は、個々の資本家の不正な自由活動に正当化の拠りどころを与えた。かつ権力者の背景をなす、支配的な社会勢力の支持までをひきよせた」と、市場原理主義を批判している。

ケインズはマルクスでさえも、リカアドオ派の亜流であり、市場万能主義の予定調和主義者であり、企業の利潤の中にその搾取した金額があるとする、剰余価値説なる珍妙なものに仕上げた、と喝破した。

ケインズは『一般理論』の中で、
Y(国民所得)=C(消費、需要)+I(設備投資)
という巨大な方程式を作った。モノとカネの供給ではなく、デマンドこそが真に重要なのだ。

副島氏は、「夢・希望で生きると失敗する」という。職業についても、「流れ着く岸辺」という考えだ。マーフィーの法則に、「少しでも失敗しそうなことは、必ず失敗する」というコトバがある。大事なのは、自分を冷酷に見つめることだ。自分に向かって「この考えでよいのか」と真剣に時間投入しないとダメだ。

夢を持て、と言われても現代の若者たちは持てない。若者たちが余剰な人間になっているからだ。人類の歴史では、80年に1回ぐらいの割合で必ず戦争をやっている。戦争になったら、貧しい人たち、労働者たちほどたくさん死ぬ。人間を大量に処分することを戦争という。

シュンペーターが唱えた、「スクラップ&ビルド(創造的破壊)」は、作り過ぎを廃棄して、次の創造につなげる、という考えだ。帝国は巨大な借金を抱えてしまう。帳簿を燃やすために行うのが戦争だ。戦争刺激経済とも言う。戦争には、過剰・余剰なものを処分するという思想が根底にある。

次に、ヨーロッパ政治思想の全体像をみる。

@ アリストテレス、エドマンド・バークが唱えたのが自然法(natural law, バーキアン)。永遠の保守思想で、自然界を支配している法則に人間も従う。自然災害が来たら、人々を助けることなんてできないから、黙ってじっと見ているという、冷酷な大人の思想だ。貧富の差は人間界の自然な秩序であって当然とする考えだ。

A ジョン・ロック、ヴォルテ−ルが唱えたのが、自然権(ロッキアン)。これは、官僚の思想であり、体制派の思想だ。自分たち優れた人間たちがつくる秩序、という考えだ。国家の寄生虫として、税金の天引きに使命を見出す。

B Aから派生したのが、現代のリベラル派、社会主義者、左翼などが唱える人権。
ここからさらに派生したのが、動物の権利。国連憲章や日本国憲法に明記してあるが、基本的人権を守るため、政府は義務がある、人権は自明で確実に存在するという考えだ。福祉国家論だ。この考えには、福祉、福祉と騒ぐが、その金を一体誰が稼ぐのか、という難問が残っている。行政は金を稼ぐことはできない。

C これに対して、ベンタム、リバータリアンが唱えたのが人定法だ(positive law, ベンタマイト)。「人権?そんなものはない」、と言い切る冷酷な思想だ。人間が集まって決めたのが法律で、神から降ってきたものではないとする。「自分のことは自分でやれ」とするアメリカ開拓民の思想でもある。リバータリアンは、反官僚、反国家、反税金、反福祉だ。理想主義の反対だ。

副島氏は、ピケティの『21世紀の資本』の結論部分に反対している。それは、格差社会是正のために、グローバルな累進課税強化を唱えているからだ。マルクスの剰余=労働価値説の復活であり、ルソーの再来だ。一国経済の成長と繁栄が格差を縮めるのであり、法律の力で、格差を是正しよう、という考えは愚かだ。税金と法律の力で平等社会を作ってはいけない。平等は、法の下の平等までであり、絶対平等を認めてはいけない。

ルソーの過激な人権主義、絶対平等主義は、貧しい民衆の怨念を下にしている。暴力革命で権力を奪取しようとした。普遍意思を制度理論化した、全体主義の生みの親だ。ルソーは、「自由思想」の名の下に、人類を抑圧する理論を作り出してしまった。

これに対して、ニーチェの「他人への同情心を捨てよ」と、難問に立ち向かい苦悩の中で克服せよ、という「力への意志」に学ぶのが、厳しい現在を生き延びる本当の知恵だ。

副島氏は言う。綺麗ごとを振り撒く者には注意せよ。教育とは洗脳なのだ。役人たちの社会的弱者を守ろうとする思想は偽善(ヒポクリシー)であり、ローマ・カソリックの思想だ。日本の坊主も公務員だった。

長くなったので、一旦切ります。

(つづく)

きいち

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